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最大にエンタングルした状態


最大にエンタングルした状態

前回シュミット分解について説明した。シュミット分解とは、部分系 A, B からなる合成系 AB の量子状態 \(\ket{\psi^{AB}}\) を A 系の正規直交基底 \(\ket{\alpha_i}\) と B 系の正規直交基底 \(\ket{\beta_i}\) によって \begin{align} \ket{\psi^{AB}} = \sum_i \sigma_i \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i} \end{align} のように分解する手法のことだった。

エンタングルメントとシュミット分解は密接な関係にある。前回も説明したように、\(\ket{\psi^{AB}}\) がエンタングルしている、とは \(\ket{\psi^{AB}}\) を A, B それぞれの量子状態の積として書けない、ということである。シュミット分解の形を見ればわかるように、ある量子状態についてもし \(\sigma_i\) がある 1 つの \(i\) を除いて 0 ならばその状態はエンタングルしていない。逆に \(\sigma_i\) が 2 つ以上 0 でないなら、その状態はエンタングルしているといえる。

エンタングルメントの「大きさ」について考えてみよう。\(\sigma_i\) が 1 つを除いて 0 であるときエンタングルメントがないということは、0 でない \(\sigma_i\) が多いほど、ある意味その状態はたくさんのエンタングルメントを持っているといえるだろう。しかし、もしそれらの \(\sigma_i\) の大きさがある一つを除いてほとんど 0 、例えば \begin{align} \ket{\psi^{AB}} = 0.99\ket{\alpha_1}\ket{\beta_1} + 0.01\ket{\alpha_2}\ket{\beta_2} + 0.01\ket{\alpha_3}\ket{\beta_3} + \cdots \end{align} のような状態だったら、この状態はエンタングルメントしていない状態 \(\ket{\alpha_1}\ket{\beta_1}\) にほとんど等しいから、エンタングルメントの量は少ないといえるだろう。このあたりのことを念頭において、それぞれ \(N\) 次元の量子系 A, B を合成した系の「最大」にエンタングルした状態は、\(\sigma_i\) をすべて等しくした状態として次のように定義される。

最大にエンタングルした状態 (maximally entangled state):

純粋状態 \(\ket{\psi^{AB}}\) について \(\sigma_i=1/\sqrt{N}\) がすべての \(i\) について成り立っているとき、\(\ket{\psi^{AB}}\) は「最大にエンタングル (maximally entangled) している」という。
2 qubit 系なら例えば \begin{align} \frac{1}{\sqrt{2}}\ket{00}+\frac{1}{\sqrt{2}}\ket{11} \end{align} という状態が最大にエンタングルしているといえる。このページではこの状態の性質を少し紹介する。

部分系

A 系だけをみたときの密度演算子 \(\rho^A\) は部分トレースによって求められる。最大にエンタングルした状態の部分系を考えてみよう。 上で定義したように、最大エンタングル状態は \begin{align} \ket{\psi^{AB}} = \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{i=1}^N \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i} \end{align} B 系についてトレースを取ることを \(\Tr_B\) と書くと \begin{align} \rho^A &= \Tr_B\left(\ket{\psi^{AB}}\bra{\psi^{AB}}\right) \\ &= \Tr_B\left[\frac{1}{N} \left(\sum_{i=1}^N \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i}\right)\left(\sum_{j=1}^N \bra{\alpha_j}\bra{\beta_j} \right)\right]\\ &= \Tr_B\left(\frac{1}{N} \sum_{i=1}^N \sum_{j=1}^N \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j} \otimes \ket{\beta_i}\bra{\beta_j}\right)\\ &= \frac{1}{N} \sum_{i=1}^N \sum_{j=1}^N \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j} \sum_{k=1}^N\braket{\beta_k}{\beta_i}\braket{\beta_j}{\beta_k}\\ &= \frac{1}{N} \sum_{i=1}^N \sum_{j=1}^N \sum_{k=1}^N \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j} \delta_{ik}\delta_{jk}\\ &= \frac{1}{N} \sum_{k=1}^N \ket{\alpha_k}\bra{\alpha_k} \\ &= \frac{I}{N} \end{align} となって、これは最大に混合した状態となる。\(\rho^B\) も同様に計算すれば \(I/N\) になる。

\(I/N\) という状態はどんな基底で測定してもランダムな結果しか返さないので、A 系だけをみて全体の状態を知ることは全く不可能である。全体系を測定することができれば、これは一つに確定した純粋状態 \(\ket{\psi^{AB}}\) だということがわかるだろうに、部分系からだと全く情報が得られないというのは不思議な世界だ。

局所操作

局所的な操作とは、A系、もしくはB系のみに作用するようなユニタリー行列をかけることである。実は最大にエンタングルした状態に対する局所的な操作は、ある意味で、どちらに作用させたのか区別できないものとなる。

実際にそのことを見てみよう。B 系にユニタリー \(\hat{U_B}\) を作用させる。その作用は、\(\ket{\beta_i}\) に対して \begin{align} \hat{U_B} \ket{\beta_i} = \sum_{i} u_{ij} \ket{\beta_j} \end{align} となることにしよう。また、\(u_{ij}\) を \(i,j\) 成分に持つ行列を \(U\) とおく。これを \begin{align} \ket{\psi^{AB}} = \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{i=1}^N \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i} \end{align} の B 側に作用させる。A 側の恒等演算子を \(I_A\) と書くと、この演算は \(I_A\otimes U\) とかける。 \begin{align} (I_A \otimes \hat{U_B})\ket{\psi^{AB}} &= \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{i=1}^N \ket{\alpha_i}(\hat{U_B}\ket{\beta_i}) \\ &= \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{i=1}^N \ket{\alpha_i}\left(\sum_{j=1}^N u_{ij} \ket{\beta_j}\right) \\ &= \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{i=1}^N\sum_{j=1}^N u_{ij} \ket{\alpha_i} \ket{\beta_j} \\ &= \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{j=1}^N \left(\sum_{i=1}^N u_{ij} \ket{\alpha_i}\right) \ket{\beta_j} \end{align} さてここで現れた \(\sum_{i=1}^N u_{ij} \ket{\alpha_i}\) という項は、\(\ket{\alpha_i}\) を \(U\) の転置行列 \(U^T\) によって変換したものになっている。この変換を行う演算子を \(\hat{U^T_A}\) と書こう。すると \begin{align} (I_A \otimes \hat{U_B})\ket{\psi^{AB}} &= \frac{1}{\sqrt{N}} \sum_{j=1}^N \left(\hat{U^T_A} \ket{\alpha_i}\right) \ket{\beta_j} \end{align} すなわち、
\begin{align} (I_A \otimes \hat{U_B})\ket{\psi^{AB}} = (\hat{U_A^T} \otimes I)\ket{\psi^{AB}} \end{align}
が言える。

個人的にはすごく不思議な性質な気がする。\((I_A \otimes \hat{U_B})\) というB系にしか作用しない操作をしているのにも関わらず、その操作はA系で行われたものとみなすこともできるというのだから。例えば \((I_A \otimes \hat{U_B})\) の逆変換を \(\left((\hat{U_A^T})^\dagger \otimes I_B\right)\) と書くことができるのは、まさに2つの系が「もつれている」からこそなのだろう。