1. 1 qubitにおける測定
量子力学において、「測定」や「観測」という行為は特別な意味を持ちます。なぜなら、測定は系の状態を変化させてしまうからです。最初は例をとって説明します。
簡単な状態として、1 qubitの\(\ket{0},\ket{1}\)の重ね合わせ状態
\[\ket{\psi}=\alpha\ket{0}+\beta\ket{1}\]
をとってきます。この状態を何らかの方法で測定して、\(\ket{0},\ket{1}\)のどちらが出るか観測するという実験を考えましょう。結果は確率的に現れます。\(\ket{0},\ket{1}\)を観測する確率\(P_0,P_1\)は係数の絶対値の2乗で与えられますから、
\[P_0 = |\alpha|^2 ,~~P_1 = |\beta|^2\]
です。
さらに、量子力学的な観測の後には観測された状態に状態が「収縮」します。つまりこの場合だと、\(\ket{0}\)が観測された!という実験結果が出ればそのqubitは\(\ket{0}\)に、逆に\(\ket{1}\)が観測された!という実験結果が出ればそのqubitは\(\ket{1}\)になってしまうのです。このことを演算子を使って定式化するため、次のような
射影演算子
を導入します。
\[M_0 = \ket{0}\bra{0},~~M_1 = \ket{1}\bra{1}\tag{1}\]
この演算子を、先程の一般的な1 qubit状態\(\ket{\psi}=\alpha\ket{0}+\beta\ket{1}\)に作用させてみると、
\[M_0 \ket{\psi} = \alpha\ket{0}\]
\[M_1 \ket{\psi} = \beta\ket{1}\]
となって、確かに測定結果に対応して状態を収縮させられることがわかります。さらによく見てみると、この演算子が収縮させた状態には、確率振幅\(\alpha,\beta\)の情報が入っていて、特にその大きさの二乗は測定結果の得られる確率になっていますね。具体的には、
\begin{align}
\|M_0 \ket{\psi}\|^2 &= \bra{\psi}M_0^\dagger M_0 \ket{\psi}\\
&= |\alpha|^2 = P_0\\
\|M_1 \ket{\psi}\|^2 &= \bra{\psi}M_1^\dagger M_1 \ket{\psi}\\
&= |\beta|^2 = P_1
\end{align}
となっています。このことを踏まえて、次で一般的な測定を定義しましょう。
2.測定の定式化
上で例に取った\(M_0 = \ket{0}\bra{0}\),\(M_1 = \ket{1}\bra{1}\)のセット\(\{M_0,M_1\}\)があれば、結果\(0,1\)を得る確率も、測定後の状態も定義することができます。
一般化すると、「測定」とは、ある結果を得る確率や測定後の状態と次のように紐付いた、ある演算子\(\{M_i\}\)の集合であると考えれば良さそうです。
適当な状態を\(\ket{\psi}\)として:
- 「\(i\)という結果」が得られる確率\(P_i\)は
\[P_i = \bra{\psi}M_i^\dagger M_i\ket{\psi}.\tag{2}\]
- 「\(i\)という結果」が得られた後の状態\(\ket{\psi_i}\)は
\[\ket{\psi_i} = \frac{M_i\ket{\psi}}{\bra{\psi}M_i^\dagger M_i\ket{\psi}}.\tag{3}\]
これを
密度演算子でも定式化しておきます。密度演算子\(\rho\)は割合\(p_k\)で状態\(\ket{\varphi_k}\)が混じり合った状態を表すのに便利な演算子で、
\[\rho = \sum_k p_k \ket{\varphi_k}\bra{\varphi_k}\]
と定義されていました。そこで、
- 「\(i\)という結果」が得られる確率\(P_i\)は
\[P_i = \Tr (\rho M_i^\dagger M_i).\tag{4}\]
- 「\(i\)という結果」が得られた後の状態\(\rho_i\)は
\[\rho_i = \frac{M_i\rho M_i^\dagger}{\Tr (\rho M_i^\dagger M_i)}.\tag{5}\]
とすれば全く同じことを表せるでしょう。
さて、この演算子の集合\(\{M_i\}\)はどのような性質を持つべきでしょうか?確率の性質から考えると、どのような性質を持つべきか決定することができます。まず、確率が負になってはいけないので、任意の\(\ket{\psi}\)について\(\bra{\psi}M_i^\dagger M_i\ket{\psi}\)は必ず0以上でなくてはなりません。\(M_i^\dagger M_i\)は半正定値であるということです。また、確率の和が必ず1になることを考えると、
\begin{align}
1 &= \sum_i P_i\\
&= \sum_i \bra{\psi}M_i^\dagger M_i\ket{\psi}\\
&= \bra{\psi}\sum_i M_i^\dagger M_i\ket{\psi}
\end{align}
を得ます。もともと\(\braket{\psi}{\psi}=1\)ですから、\(\sum_i M_i^\dagger M_i = I\)であれば、この式が満たされますね。まとめると、確率の性質から、
- \(M_i^\dagger M_i\)は全て半正定値。つまり任意の\(\ket{\psi}\)について\(\bra{\psi}M_i^\dagger M_i\ket{\psi}\geq 0\)
- \(\sum_i M_i^\dagger M_i = I\)
を満たしていれば、\(\{M_i\}\)という集合は「測定」と呼ぶにふさわしい性質を持つのです。
3.POVM
次に、正定値演算子測度 (Positive Operator Valued Measure,
POVM
) というのも紹介します。POVMとは、上で定義した「測定」とは少し違う測定の一種です。
測定が満たすべき性質や、ある結果を得る確率に現れた演算子は\(M_i^\dagger M_i\)だけで、\(M_i\)単体で現れたのは、測定後の状態を定義するところだけでした。しかし、例えば光子を検出する実験のように、測定後の状態がそもそも問題とならない場合もあります。そのようなときは、
\[E_i = M_i^\dagger M_i\]
として、この\(E_i\)だけを問題にすれば良いはずです。この演算子の集合\(\{E_i\}\)を
POVM
と呼びます。POVM \(\{E_i\}\)は、\(\{M_i\}\)と同様に以下の性質を満たすべきです。
- \(E_i\)は全て半正定値。つまり任意の\(\ket{\psi}\)について\(\bra{\psi}E_i\ket{\psi}\geq 0\)
- \(\sum_i E_i = I\)
- 「\(i\)という結果」が得られる確率\(P_i\)は
\[P_i = \bra{\psi}E_i\ket{\psi}~~ (P_i = \Tr(\rho E_i)).\tag{6}\]
上は\(E_i=M_i^\dagger M_i\)の満たす性質として考えましたが、一般には逆に、この性質を満たす\(\{E_i\}\)をPOVMといいます。
それにしても、なぜPOVMなんて言うのでしょうか?これは、確率が「測度」という数学によってきれいに定式化されるからだと思っています。もっとも、僕は測度論は全くわからないので適当ですが。半正定値線形演算子で定義された測度 (=確率) ということなんでしょう。
4.部分トレース
最後に、部分系を考えるのに重要な
部分トレース (partial trace)
を説明しましょう。
\(A,B\)という2つの量子系があって、その合成系が密度演算子で\(\rho^{AB}\)という状態にいるとします。考える問題は、\(B\)を無視して\(A\)だけを見た時、その状態\(\rho^A\)はどのように表されるべきか?というものです。実験するにあたっても、量子力学の基礎としても、非常に重要な問題です。
この問題を考えるには、ここまでに定義してきた測定の理論を使います。\(A\)に対するある測定\(\{M^A_i\}\)を考えて、この測定に対して\(\rho^{AB}\)と\(\rho^A\)が与える結果が全く変わらなければ、\(\rho^A\)には\(\rho^{AB}\)の部分系としての資格があるといえるでしょう。そこでそのような\(\rho^A\)を探します。
測定\(\{M^A_i\}\)は\(A\)に対してしか作用しないので、このままでは\(\rho^{AB}\)の測定とは言えません。そこで、\(A\)に関しては\(\{M^A_i\}\)が作用し、\(B\)に関しては何もしない演算子\(\{M^{AB}_i\}=\{M^A_i\otimes I^B\}\)を定義します。そうすると、結果\(i\)を得る確率\(P_i\)は
\begin{align}
P_i &= \Tr (\rho^{AB}M^{AB}_i)\\
&= \Tr (\rho^{AB}(M^A_i\otimes I^B))\tag{7}
\end{align}
です。一方で、\(\rho^A\)が部分系としてふさわしいときは、
\begin{align}
P_i &= \Tr (\rho^{A}M^{A}_i)\tag{8}
\end{align}
と書けるはずです。(7)を少し変形して、(8)のような形にすれば、\(\rho^A\)がどのように表されるべきかわかります。以下では、\(\{\ket{a}\},\{\ket{b}\}\)を\(A,B\)の正規直交基底とします。
\begin{align}
P_i &= \Tr (\rho^{AB}(M^A_i\otimes I^B))\\
&= \sum_a\sum_b\bra{a}\bra{b}\rho^{AB}(M^A_i\otimes I^B))\ket{a}\ket{b}\\
&= \sum_a\sum_b\bra{a}\bra{b}\rho^{AB}M^A_i\ket{a}\ket{b}\\
&= \sum_a\bra{a}\left(\sum_b\bra{b}\rho^{AB}\ket{b}\right)M^A_i\ket{a}
\end{align}
ここで、\(B\)だけに関するトレースを
\[\Tr_B (\rho^{AB}) = \sum_b\bra{b}\rho^{AB}\ket{b}\tag{9}\]
と定義すると、
\begin{align}
P_i &= \sum_a\bra{a} \Tr_B(\rho^{AB}) M^A_i\ket{a}\\
&= \Tr_A (\Tr_B(\rho^{AB}) M^A_i)\tag{10}
\end{align}
となります。これを(8)と見比べると、
\[\rho_A = \Tr_B(\rho^{AB})\tag{11}\]
と定義すれば、この\(\rho_A\)は\(\rho^{AB}\)と全く変わらない確率を与えることがわかるでしょう。そこで、(11)式を部分系の定義とします。この定義に使われている部分系に関するトレース\(\Tr_B\)が
部分トレース
です。
5.部分系の例
簡単な例で部分系を計算してみましょう。
\(A,B\)はそれぞれ2次元の空間だとして、正規直交基底をそれぞれ\(\{\ket{a_0},\ket{a_1}\}\), \(\{\ket{b_0},\ket{b_1}\}\)とします。
まず\(\ket{\psi^{AB}}=\ket{a_0}\ket{b_1}\)という状態。このとき、
\[\rho^{AB} = \ket{a_0}\ket{b_1}\bra{a_0}\bra{b_1}\]
なので、
\begin{align}
\rho^A &= \Tr_B(\rho^{AB})\\
&= \sum_i \bra{b_i}\left(\ket{a_0}\ket{b_1}\bra{a_0}\bra{b_1}\right)\ket{b_i}\\
&= \ket{a_0}\bra{a_0}\sum_i\bra{b_i}\ket{b_1}\bra{b_1}\ket{b_i}\\
&= \ket{a_0}\bra{a_0}
\end{align}
となりました。この結果は\(A\)だけを見れば\(\ket{\psi^A}=\ket{a_0}\)となっていることを示しています。\(\ket{\psi^{AB}}=\ket{a_0}\ket{b_1}\)でしたので当然ですね。
次はエンタングルした状態をやってみましょう。
\[\ket{\psi^{AB}}=\frac{1}{\sqrt{2}}(\ket{a_0}\ket{b_0}+\ket{a_1}\ket{b_1})\]
を考えます。このとき、
\begin{align}
\rho^{AB} &= \frac{1}{2}(\ket{a_0}\ket{b_0}+\ket{a_1}\ket{b_1})(\bra{a_0}\bra{b_0}+\bra{a_1}\bra{b_1})\\
&= \frac{1}{2}(\ket{a_0}\ket{b_0}\bra{a_0}\bra{b_0} + \ket{a_0}\ket{b_0}\bra{a_1}\bra{b_1}+\ket{a_1}\ket{b_1}\bra{a_0}\bra{b_0}+\ket{a_1}\ket{b_1}\bra{a_1}\bra{b_1})
\end{align}
なので、
\begin{align}
\rho^A &= \Tr_B(\rho^{AB})\\
&= \frac{1}{2}\sum_i \bra{b_i}(\ket{a_0}\ket{b_0}\bra{a_0}\bra{b_0} + \ket{a_0}\ket{b_0}\bra{a_1}\bra{b_1}+\ket{a_1}\ket{b_1}\bra{a_0}\bra{b_0}+\ket{a_1}\ket{b_1}\bra{a_1}\bra{b_1})\ket{b_i}\\
&= \frac{1}{2}(\ket{a_0}\bra{a_0}+\ket{a_1}\bra{a_1})\\
&= \frac{I}{2}
\end{align}
となります。この結果は、\(A,B\)の合成系\(\rho^{AB}\)が完全な純粋状態にあったにもかかわらず、\(\rho^A\)は完全な混合状態にあることを表しています。実は一般に、
エンタングルした純粋状態の部分系はなぜか混合状態になります。これも1つエンタングルメントの持つ不思議な性質の一つといえるでしょう。全体系では完全な情報をもっているのにもかかわらず、部分系ではある種情報が失われているような現象が起こるのです。