1. シュミット分解
今回は前置きなしに、
シュミット分解:
2つの量子系\(A,B\)における純粋状態\(\ket{\psi^{AB}}\)は必ず、\(A,B\)のある正規直交ベクトルの組\(\{\ket{\alpha_i}\},\{\ket{\beta_i}\}\)を使って、
\[\ket{\psi^{AB}} = \sum_i \sigma_i \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i}\tag{1}\]
と表せる。
これを示します。使う数学は特異値分解です。
\(A,B\)の正規直交基底をそれぞれ\(\{\ket{a_i}\}_{i=1}^N,\{\ket{b_i}\}_{i=1}^M\)とすれば、\(AB\)という量子系の基底は、それらのテンソル積によって作られるベクトル\(\{\ket{a_j}\ket{b_k}\}\)です。だから、
\[\ket{\psi^{AB}} = \sum_{j=1}^N\sum_{k=1}^M \psi_{jk}\ket{a_j}\ket{b_k}\tag{2}\]
のように表せます。\(\psi_{jk}\)は複素数の確率振幅です。\(\psi_{jk}\)は係数ですが、ここではこれを行列とみなしてみましょう。\(\Psi\)を\(jk\)成分に\(\psi_{jk}\)を持つ行列だとすると、特異値分解によって、
\[\Psi = U\Sigma V\tag{3}\]
となるユニタリー\(U,V\), また\(ii\)(対角)成分が\(\Psi\)の特異値\(\sigma_i\)で、他は\(0\)であるような行列\(\Sigma\)が存在します。これを成分で書くと、
\[\psi_{jk} = \sum_i u_{ji}\sigma_i v_{ik}\tag{4}\]
です。これを(2)に代入すれば、
\begin{align}
\ket{\psi^{AB}} &= \sum_{j=1}^N\sum_{k=1}^M \left(\sum_i u_{ji}\sigma_i v_{ik}\right)\ket{a_j}\ket{b_k}\\
&= \sum_i\sigma_i\left(\sum_{j=1}^N u_{ji}\ket{a_j}\right)\left(\sum_{k=1}^M v_{ik}\ket{b_k}\right)\tag{5}
\end{align}
を得ます。ここで、
\begin{align}
\ket{\alpha_i} &= \sum_{j=1}^N u_{ji}\ket{a_j}\\
\ket{\beta_i} &= \sum_{k=1}^M v_{ik}\ket{b_k}
\end{align}
とすれば、(5)が(1)そのものであることがわかります。\(U,V\)がユニタリーなので、\(\{\ket{a_j}\},\{\ket{b_k}\}\)の直交性がそのまま\(\{\ket{\alpha_i}\},\{\ket{\beta_i}\}\)に受け継がれることに注意しましょう。これで証明できました。証明過程からもわかるように、シュミット分解とは、行列の特異値分解そのものです。
2.量子状態の純粋化
次にシュミット分解を使って次のことを示します。
Purification:
量子系\(A,B\)の合成系\(A\otimes B\)の中には、\(A\)中の任意の混合状態\(\rho^A\)に対して、\(\rho^{AB}\)の部分系が\(\rho^A\)となるような純粋状態\(\rho^{AB}\)が必ず存在します。ただし、「部分系が\(\rho^A\)になる」とは、\(\Tr_B(\rho^{AB}) = \rho^A\)となることを言います。
\(\rho^{AB}\)は純粋状態なので、ある状態ベクトル\(\ket{\psi^{AB}}\)を使って、
\[\rho^{AB}=\ket{\psi^{AB}}\bra{\psi^{AB}}\tag{6}\]
です。この密度演算子の部分トレース\(\Tr_B (\rho^{AB})\)が、\(A\)の任意の密度演算子
\[\rho^A = \sum_k p_k \ket{k}\bra{k}\tag{7}\]
を再現できれば良いわけです。(\(p_k, \ket{k}\)は\(\rho^A\)の固有値・固有ベクトルだとします。)
\(\ket{\psi^{AB}}\)はシュミット分解によって、
\[\ket{\psi^{AB}} = \sum_i \sigma_i \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i}\]
と書けますから、これを(6)に代入すると、
\begin{align}
\rho^{AB} &= \sum_{i,j} \sigma_i\sigma_j \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j}\otimes \ket{\beta_i}\bra{\beta_j}
\end{align}
部分トレースをかけると、
\begin{align}
\Tr_B(\rho^{AB}) &= \sum_{i,j} \sigma_i\sigma_j \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j}\Tr(\ket{\beta_i}\bra{\beta_j})\\
&= \sum_{i,j} \sigma_i\sigma_j \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j}(\braket{\beta_j}{\beta_i})\\
&= \sum_{i,j} \sigma_i\sigma_j \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_j}\delta_{ij}\\
&= \sum_{i} \sigma_i^2 \ket{\alpha_i}\bra{\alpha_i}
\end{align}
となります。これと(7)を見比べると、
\[\sigma_i = \sqrt{p_i},~~\ket{\alpha_i}=\ket{k}\]
が成り立てば良いことがわかります。
まとめます。(7)式の密度演算子\(\rho^A\)が与えられたとき、\(\rho^A\)の固有値\(p_k\)と同じ個数の正規直交ベクトル\(\{\ket{\beta_k}\}\)を、\(B\)から任意に選んで作られる純粋状態
\[\ket{\psi^{AB}} = \sum_k \sqrt{p_k} \ket{k}\ket{\beta_k}\]
はその部分系が\(\rho^A\)と等しくなります。
個人的にこの定理は次のように解釈すると面白いです。
ある量子系の任意の混合状態は、より大きな量子系から見れば純粋状態になっています。
3.ユニタリー自由度
その証明からも明らかなように、純粋化に使う\(B\)のベクトル\(\{\ket{\beta_k}\}\)は正規直交していさえば問題ありません。そのため、\(\rho^A\)が与えられたからといって、部分系として\(\rho^A\)を与える状態\(\ket{\psi^{AB}}\)は一意には決まらないのです。正規直交性を失わない変換といえばユニタリー変換ですから、次が成り立ちます。
純粋化のユニタリー自由度:
\(\ket{\psi^{AB}}\)がその部分系として\(\rho^A\)を与えるとします。このとき、\(B\)に作用する任意のユニタリー\(U_B\)について、\((I\otimes U_B) \ket{\psi^{AB}}\)もまた、部分系として\(\rho^A\)を与えます。
実はシュミット分解にも同じようなことが成り立ちます。シュミット分解ででてくる係数\(\{\sigma_i\}\)は、局所的なユニタリー変換によって変化しないのです。これも簡単に示せます。\(A,B\)に作用する任意のユニタリーを\(U_A,U_B\)として、シュミット分解された状態ベクトルにこれを作用させてみると、
\begin{align}
(U_A\otimes U_B) \sum_i \sigma_i \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i} &= \sum_i \sigma_i(U_A\ket{\alpha_i})(U_B\ket{\beta_i})
\end{align}
です。しかしユニタリー性から\(\{U_A\ket{\alpha_i}\},\{U_B\ket{\beta_i}\}\)は互いに直交しますから、これを改めて\(\{\alpha_i'\},\{\beta_i'\}\)とおけば、
\[\sum_i \sigma_i(U_A\ket{\alpha_i})(U_B\ket{\beta_i}) = \sum_i \sigma_i \ket{\alpha_i'}\ket{\beta_i'}\]
を得ます。これは係数\(\{\sigma_i\}\)を持つシュミット分解になっていますから、シュミット分解の係数が局所的なユニタリー変換で変化しないことが示せました。
シュミット分解のユニタリー自由度:
\(\ket{\psi^{AB}}\)がシュミット分解の係数\(\{\sigma_i\}\)を持つとします。このとき\((U_A\otimes U_B)\ket{\psi^{AB}}\)も同じシュミット分解の係数\(\{\sigma_i\}\)を持ちます。
これは、同じ特異値\(\{\sigma_i\}\)をもつ行列\(\Psi = \{\psi_{jk}\}\)がいくらでも存在することに対応しています。これだけだと、単なる数学的な定理に感じられてしまうかもしれませんが、次のセクションで示すように、実はこのことは物理的に重要な意味を持ちます。
4.エンタングルメントとシュミット分解
シュミット分解や純粋化は、2つの量子系の間における
エンタングルメント
(量子もつれ) と深い関連があります。知っている方も多いかもしれませんが、まず (純粋状態の) エンタングルメントの定義を以下に示します。
エンタングルメント:
\(\ket{\psi^{AB}}\)が\(\ket{\psi^{AB}}=\ket{\psi^A}\otimes\ket{\psi^B}\)と積の形で表せないとき、「\(\ket{\psi^{AB}}\)はエンタングルしている」といいます。逆に積の形で表せるときは、「\(\ket{\psi^{AB}}\)は積状態 (product state) である」といいます。
\(\ket{\psi^{AB}}\)をシュミット分解すると、\(\ket{\psi^{AB}} = \sum_i \sigma_i \ket{\alpha_i}\ket{\beta_i}\)と表せるのでした。ちなみにさっきは触れませんでしたが、規格化条件から\(\sum_i \sigma_i^2 = 1\)です。したがって、\(\{\sigma_i\}\)に1つでも\(1\)があった時、それ以外の\(\sigma_i\)は\(0\)になってしまいます。ということは、そのようなとき、\(\ket{\psi^{AB}} = \ket{\alpha}\ket{\beta}\)の形で書けますから、この時\(\ket{\psi^{AB}}\)は積状態です。よって、
1つの\(i\)について\(\sigma_i=1\). \(\iff\) \(\ket{\psi^{AB}}\)は積状態.
が成り立ちます。逆に、
任意の\(i\)について\(\sigma_i\neq 1\). \(\iff\) \(\ket{\psi^{AB}}\)はエンタングルメント状態.
です。つまりシュミット分解は2つの量子系のエンタングルメントを調べる方法として有力です。\(\sigma_i\)が1に近ければ近いほど、エンタングルメントがある意味で「小さい」と考えることもできるでしょう。
このことを念頭に置くと、先程示した「シュミット分解のユニタリー自由度」は、以下のように言い換えられます。
純粋状態のエンタングルメントは局所ユニタリー変換によって不変です。つまり\(\ket{\psi^{AB}}\)がエンタングルした状態であるとき、\((U_A\otimes U_B)\ket{\psi^{AB}}\)もエンタングルしています。
量子情報の分野でエンタングルメントといえば、量子テレポーテーションや鍵配送なんかに使われる、応用上重要なリソースです。上のことは、そのエンタングルメントが局所的なユニタリー操作では生まれもしなければ壊されもしない、ということをしめしています。エンタングルメントを作るには、2つの系の間になんらかの相互作用が必要であるということですね。しかしながら、これは全ての局所的な操作でエンタングルメントが変化しないということを示してはいないことに注意しましょう。ユニタリー操作では無い「観測」によっては、それが局所的なものであっても、エンタングルメント状態が変化する可能性があります。
また、シュミット分解された状態の部分系を考えることにより、以下のことがいえます。
\(\ket{\psi^{AB}}\)がエンタングルした状態であるとき、その部分系\(\rho^A = \Tr_B (\ket{\psi^{AB}}\bra{\psi^{AB}})\)は混合状態です。
証明は純粋化の証明とほぼ同じ手順になるので書きません。\(\rho^A\)は\(\sigma_i^2\)の割合で\(\ket{\alpha_i}\)が混ざった状態、つまり、
\[\rho^A = \sum_i \sigma_i^2\ket{\alpha_i}\bra{\alpha_i}\]
になります。