1.書き換えられた量子条件
ボーア・ゾンマーフェルトの量子条件
\[\oint pdx = nh\tag{1}\]
はフーリエ展開の形で、古典論と量子の世界の対応をつけながら書き直すと、
\[\sum_a \left(P_{n,n+a}X_{n+a,n} - X_{n,n-a}P_{n-a,n}\right) = \frac{h}{2\pi i}\tag{2}\]
という形になるのだった。\(P_{mn},X_{mn}\)はどういうものだったかというと、古典論からの類推によって位置や運動量を量子論的にフーリエ展開したもので、
\begin{align}
x(t)&=\sum_n X_{n+a,n} e^{i\omega_{n+a,n} t} \\
p(t)&=\sum_n P_{n+a,n} e^{i\omega_{n+a,n} t} \tag{3}
\end{align}
となるような係数のことだった。言うのを忘れていたが、この\(P_{mn},X_{mn}\)はそれぞれ運動量、位置の
遷移振幅
とも呼ばれる。
ひとつ注釈を入れておくと、(3)の左辺が実数になるという条件は、
\[X_{mn}^*=X_{nm}\tag{4}\]
と等価である。なぜなら、ボーアの振動数関係\(\omega_{mn}=(E_m-E_n)/h\)から\(\omega_{mn}=-\omega_{nm}\)であり、つまり\(e^{i\omega_{mn}t}\)の係数\(X_{mn}\)は\(e^{i\omega_{nm}t}=e^{-i\omega_{mn}t}\)の係数\(X_{nm}\)と複素共役の関係にないといけないからだ。
今回は上のことを使って行列力学を導出する。
2.正準交換関係
まずやることは、(17)を行列の形に書き換えることだ。それが
正準な交換関係
となる。
\(X,P\)をそれぞれその\(mn\)成分が\(X_{mn},P_{mn}\)となるような行列だとしよう。さらに(2)式を少し書き換えると、
\[\sum_k \left(P_{nk}X_{kn} - X_{nk}P_{kn}\right) = \frac{h}{2\pi i}\tag{4}\]
とできるはずだ。この式をよーくみてみると、
\[(PX)_{nn}=\sum_k P_{nk}X_{kn}\tag{5}\]
というふうに、\(PX\)の対角線成分を表していることがわかる。よって、(4)は行列の計算を用いて次のように書き直せる。
\[(PX-XP)_{nn} = \frac{h}{2\pi i}\tag{6}\]
対角線成分を決める式は(6)でいいんだけども、それ以外の成分はどうなっているだろうか。ここまでの手がかりは何もない。そこでここで重要な仮定を入れる。非対角線成分を0と仮定してしまうのだ。その物理的意味とか動機はいまのところ特になくて、そうすると数学的な取り扱いが簡単になる、というだけだ。しかし、このような仮定を入れて計算を進めていくと、うまいこと実験を説明できてしまう。
対角線成分だけが1であるような行列はご存知の通り単位行列\(I\)だから、
\[PX-XP = \frac{h}{2\pi i}I\]
\[XP-PX = i\hbar I \tag{7}\]
となる。これが
位置・運動量の交換関係(正準交換関係)
である。
さあ、こんなふうに行列で書いてしまうと、いよいよPやXの正体がわからなくなってしまう。いったいこいつらは何を意味しているんだろうか。しかし思い出してほしい。(3)式のようにフーリエ展開した位置や運動量というのは、もはや
古典論的な位置や運動量という意味を持っているものでは無くなっていたのだ。ということはそのそれぞれの振幅であるXやPにも、今のところは納得できる意味をつけるのは難しいだろう。ただ一つ言えることは、XやPというのはスペクトルの強度と密接に関係した量である、ということだ。
こういうことだから、そもそも(3)のようにそれぞれの周波数成分を足し合わせたものが意味を持つというよりは、実は位置や運動量というのは、量子の世界では行列によって表現されるものだと考えるほうが筋がいいかもしれない。足し合わせをしないといけなかったのは、あくまで古典の世界との橋渡しのためだったと考えるのだ。そこで、量子力学的な位置・運動量を
\begin{align}
x_{mn} &= X_{mn}e^{i\omega_{mn} t} \\
p_{mn} &= P_{mn}e^{i\omega_{mn} t} \tag{8}
\end{align}
と定義しよう。こいつらはそれぞれ位置・運動量の
遷移成分
と呼ばれる量だ。XやPというのは時間の概念を含んでいない量だったが、それに\(e^{i\omega_{mn} t}\)を付け加えた\(x,p\)という行列は、位置や運動量(のようなもの)の時間発展を書き表すようなものだと考えられるだろう。
ついでだから、XPに対して(7)の交換関係が成り立っているとき、この遷移成分にも(7)のような交換関係が成り立っていることを示しておこう。
\begin{align}
(xp-px)_{mn}&=\sum_k \left(x_{mk}p_{kn} - x_{mk}p_{kn}\right)\\
&= \sum_k \left(X_{mk}e^{i\omega_{mk} t}P_{kn}e^{i\omega_{kn} t} - P_{mk}e^{i\omega_{mk} t}X_{kn}e^{i\omega_{kn} t}\right)\\
&= \sum_k \left(X_{mk}P_{kn}- P_{mk}X_{kn}\right)e^{i(\omega_{mk}+\omega_{kn}) t}\\
&= i\hbar\delta_{mn}e^{i(\omega_{mn}) t}\\
&= i\hbar\delta_{mn}e^{i\omega_{mm} t}
\end{align}
となる。\(\omega_{mk}+\omega_{kn} = \omega_{mn}\)という関係式(Rydbergの振動数関係、原子のスペクトルはこういうものだった)をつかった。また、最後の\(\omega_{mm}\)というのは遷移をしていないということだからこれは0でつまり\(e^{i\omega_{mm} t}\)は1になる。よって、遷移成分x,pの間にも
\[xp-px=i\hbar I\tag{9}\]
となることが示せた。よく書かれるように、交換子\([x,p]=xp-px\)を使うと、
\[[x,p]=i\hbar I \tag{10}\]
である。
3.交換関係=微分!!
(9)の交換関係は、実は微分の役割をするということが発見された。どういうことかというのを実際に計算してみよう。例えば、\(x^2\)と運動量pとの交換子を計算してみる。
\begin{align}
[p,x^2] &= px^2 - x^2p \\
&= px(x) - x(xp) \\
&= (xp-i\hbar)x - x(px+i\hbar) \\
&= -i\hbar(2x)
\end{align}
つまり、
\[[p,x^2]=-i\hbar\frac{\partial}{\partial x}x^2\tag{11}\]
となっている。こういう意味で交換関係は微分の役割を果たしており、\([p,*]\)というのは\(\partial/\partial x\)に等しいような感じがする。少し計算すれば、\(xp\)や\(x^n\)みたいな関数にも(11)のような関係が成り立つことがわかる。
一般化すると、任意の関数(とはいっても行列である)\(f(x,p)\)について
\[[p,f]=-i\hbar\frac{\partial f}{\partial x}\tag{12}\]
が言えそうだ。実は、位置に対する交換子も
\[[x,f]=i\hbar\frac{\partial f}{\partial p}\tag{13}\]
ということができるのだが、これを証明してみよう。
証明といっても、そんなに難しいことはなくて、少しで終わってしまう。
まず、\(f(x,p)=x\)のときと\(f(x,p)=p\)のときは、明らかに(12)と(13)は成り立っている。これはさすがに説明はいらないだろう。さらに、\(f(x,p)=x+p\)についてもすぐに示せる、というかほとんど自明だろう。さらに一般化しながら同じように考えると、(12),(13)が成り立っているような\(f,g\)があったときには\(f+g\)が(12),(13)を示すことも簡単である。よって\(x,p\)の和については(12,(13)が成り立っていることがすぐにわかる。
積については少し考えないといけない。こっちは最初っから一般化して、(12),(13)が成り立っているような\(f,g\)があったときに\(fg\)という量が(12),(13)を成立させることを示してみよう。ここでは(13)式だけを示しておく。右辺から計算を進めていく。
\begin{align}
i\hbar\frac{\partial (fg)}{\partial p} &= i\hbar f\frac{\partial g}{\partial p} + i\hbar\frac{\partial f}{\partial p}g\\
&= f[x,g] + [x,f]g\\
&= f(xg-gx)+(xf-fx)g\\
&= xfg-fgx\\
&= [x,fg]
\end{align}
となって、確かにできていることが確認できた。これで、\(x,p\)の和や積で表される式、つまり任意の多項式\(f(x,p)\)について(12),(13)が成り立っていることがわかる。さらにこのことから、数学的な細かいことを言わないことにすれば、\(x,p\)のテイラー展開で表せる任意の関数\(f(x,p)\)について成り立つことがわかるだろう。
証明はともかく、交換子というのは微分の役割をもつもので、もう一度書いておくと
\[\left\{\begin{align}
[p,f]&=-i\hbar\frac{\partial f}{\partial x}\\
[x,f]&=i\hbar\frac{\partial f}{\partial p}
\end{align}\right.\tag{14}\]
4.運動方程式
交換子がxpの交換関係のもとで微分の役割をするということがわかったところで、運動方程式を作ろう。
せっかくだから(14)を使いたいので、解析力学の
正準方程式、
\[
\left\{\begin{align}
\dot{\b{x}}&=\frac{\partial H}{\partial \b{p}} \\
\dot{\b{p}}&=-\frac{\partial H}{\partial \b{x}}
\end{align}\right. \tag{15}
\]
を使おう。
ハミルトニアン\(H(x,p)\)というのは、例えば調和振動子なら、\(H(x,p) = \frac{p^2}{2m}+\frac{k}{2}x^2\)となるようなx,pに対する関数だから、(14)式を使って、
\[
\left\{\begin{align}
\dot{x}&=\frac{1}{i\hbar}[x,H] \\
\dot{p}&=\frac{1}{i\hbar}[p,H]
\end{align}\right. \tag{16}
\]
となる!!x,pに対して全く対称的な式が出てきた。ということは、だ。さっき交換子が微分になっていることを証明したのと全く同じように、任意の関数\(f(x,p)\)について、
\[\dot{f}=\frac{1}{i\hbar}[f,H]\tag{17}\]
が言えるはずである。つまり、ある物理量\(f\)の時間発展はこの一つの式によって説明されてしまう、という素晴らしい式ができたのだ。
この(17)が
ハイゼンベルクの運動方程式
であり、これが行列力学の中心となる式である。