テレポーテーション
量子テレポーテーションは、量子通信や量子計算、基礎的な量子情報理論にまで多大な影響を及ぼしているテクニックである。エンタングルした 2 qubit を使った量子テレポーテーションは以下のような量子回路によって表現できたのだった。
量子テレポーテーション の記事で数式を交えた説明をしたけれども、僕個人としては、テレポーテーションの数式を追うだけではこのテクニックを理解できたとは思えていなかった。「いや、確かに数式を追えばそうなるんだけれども、なんでこんなことが起きているんだ?」という気持ちがずっと残っていた。
この記事は、そんな疑問に答えるための記事のつもりで書き、ついでに量子チャネルと量子状態の双対性に関しても少し触れる。
テレポーテーションのリソースとしての最大エンタングル状態
実は「最大エンタングル状態」の性質のうちたった一つが、この状態のテレポーテーションのリソースとしての資格を担保する。それは次の性質である。(この記事では式がごちゃごちゃすることを避けるために規格化定数を無視するが、規格化定数がついていないことに不安を感じる人は適宜補完してほしい。)
量子系 A, B の正規直交基底をそれぞれ \(\{\ket{a_i}_{i=1}^N\}, \{\ket{b_i}\}_{i=1}^N\) と置き、
\begin{align}
\ket{\Psi}_{AB} = \sum_i \ket{a_i}\ket{b_i}
\end{align}
とする。\(\ket{\Psi_{AB}}\) の A 系を \(\ket{\psi}_A = \sum_i \psi_i \ket{a_i}\) へと射影すると、B 系は \(\sum_i \psi^*_i \ket{b_i} := \ket{\psi^*}_B\) へと射影される。すなわち
\begin{align}
\bra{\psi}_A \ket{\Psi}_{AB} = \ket{\psi^*}_B \tag{1}
\end{align}
が成り立つ。
このことは以下の簡単な計算によって確かめられる。
\begin{align}
\bra{\psi}_A\ket{\Psi}_{AB} &= \left(\sum_j \psi^*_j \bra{a_j}_A\right)\left(\sum_i \ket{a_i}_A\ket{b_i}_B\right) \\
&= \sum_{i,j} \psi^*_j \braket{a_j}{a_i}\ket{b_i}_B \\
&= \sum_{i,j} \psi^*_j \delta_{ij}\ket{b_i}_B \\
&= \sum_i \psi^*_i \ket{b_i}_B \\
&= \ket{\psi^*}_B
\end{align}
この性質を下のような量子回路の形に書くと、テレポーテーションと密に関連していそうなことがよく分かると思う。(\(U_{\mathrm{ent}}\) は \(\ket{0}_A\ket{0}_B\) をエンタングル状態へと変換するゲートである。)
\(A\) 側で射影した \(\ket{\psi}\) という状態が、\(B\) 側に「テレポート」していると見ることができるだろう。
もちろん、射影操作は確率的にしかできないので、このプロトコルだけでは \(\ket{\psi}\) を決定論的に「テレポート」することはできない。
最大エンタングル状態の部分系が最大混合状態になっている (\(\rho_A = \frac{1}{N}\)) ことを考えると、ある量子状態 \(\ket{\psi}\) が測定される確率は \(1/N\) である。
1 qubit のテレポーテーション
次に、(1) 式に基づいて、この記事の冒頭でも回路図を紹介した以下の標準的な量子テレポーテーションを考えてみよう。
この回路の上側 (Aさん側) で何が起きているか見てみよう。よく見てみると、この回路は (1) 式の図的な表現
を左右反転させた、次のようなものになっていることに気づくと思う。(CNOT×H を \(U_{\mathrm{ent}}\) と書き、A さん側のビットに 1, 2 と番号をつけた。)
この図のように、もし \(\ket{0}_1\ket{0}_2\) へと射影できれば、入力側に残るのは \(\ket{\psi^*}\) である。これを B さん側とつなげて、もともとのエンタングルメントを作る回路も含めてやれば、テレポーテーションでは次の図のような現象が起きているとも捉えられるだろう。
すなわち、テレポーテーションは
- A さん側で \(\ket{0}_1\ket{0}_2\) への射影が起こる。
- A さんと B さんが共有しているエンタングルペアのうち、A さんの片割れがあたかも \(\ket{\psi^*}\) へと射影されたかのような効果が現れる。
- 最大エンタングル状態の片割れが \(\ket{\psi^*}\) に射影されたことで、B さん側に \(\ket{\psi}\) が現れる。
のような順番で実現していると言っても良いと思う。
A さん側が \(\ket{0}_1\ket{0}_2\) でない状態へ射影されてしまったときにはどうなるだろうか?これはそもそも、A さん側で CNOT→H のあと \(\ket{0}, \ket{1}\) 基底で測定することが、4つのベル状態
\begin{align}
\ket{\Phi_0} &= \frac{\ket{00}+\ket{11}}{\sqrt{2}} \Leftrightarrow \ket{00}\\
\ket{\Phi_1} &= \frac{\ket{01}+\ket{10}}{\sqrt{2}}\Leftrightarrow \ket{01}\\
\ket{\Phi_2} &= \frac{\ket{00}-\ket{11}}{\sqrt{2}}\Leftrightarrow \ket{10}\\
\ket{\Phi_3} &= \frac{\ket{01}-\ket{10}}{\sqrt{2}}\Leftrightarrow \ket{11}
\end{align}
への射影と等価であることを考えて、(1) 式
\begin{align}
\left(\sum_j \psi^*_j \bra{a_j}_A\right) \left(\sum_i \ket{a_i}\ket{b_i}\right) = \sum_i \psi^*_i \ket{b_i}_B \tag{1再掲}
\end{align}
とにらめっこすれば理解できる。A さんが \(\ket{00}\) を測定することは \(\ket{\Phi_0}\) への射影に相当しており、この状態は (1) 式において \(\ket{a_i} = \ket{b_i}\) であるような状態なので、B さん側にも全く同じ \(\ket{\psi}\) が届けられる。しかし A さんが \(\ket{01}\) を測定したとき、これは \(\ket{\Phi_1}\) への射影に相当するため、(1) 式において \(\ket{a_i} = X\ket{b_i}\) となってしまう。この基底変換はそのまま B さん側へと伝播して、B さんが受け取る状態は \(X\ket{\psi}\) となるのである。他の場合についても同様に考えると、A さんが \(\ket{10}\) を観測したとき \(\ket{a_i} = Z\ket{b_i}\) から B さんは \(Z\ket{\psi}\) を受け取り、\(\ket{11}\) を観測したとき \(\ket{a_i} = XZ\ket{b_i}\) だから \(XZ\ket{\psi}\) を受け取ることになる。これらをまとめると以下のような図が書ける。

テレポーテーションを完結させるには、この測定結果 \((b_1, b_2)\) によって \(\ket{a_i}\) から変化してしまった基底を直してあげるだけでいいのだ。
僕はこれでテレポーテーションが理解できた気になれたので、これが誰かの助けになればすごく嬉しい。
local な量子テレポーテーション
測定型量子計算なんかで使われるテクニックをついでに紹介したい。
(1) 式によるテレポーテーション
が、確率的にしかできないのは、状態 \(\ket{\psi}\) の入力を射影測定に頼っているからである。そこで、A 側だけを左右反転した下のような回路によれば、決定論的なテレポーテーションが可能になるかもしれない。
(\(T_A\) は A 側だけの転置を表す。) 左右反転したので入力が \(\ket{\psi^*}_A\) と複素共役になり、\(U_{\mathcal{ent}}\) は A 側だけの転置となるだろうという直感のもと、回路を書いてみた。
この直感を以下の簡単な 2 qubit の回路で検証してみる。上で書いた直感は、
という対応である。正しいだろうか?\(\ket{\psi^*} = \alpha\ket{0} + \beta\ket{1}\) として計算してみると
\begin{align}
\ket{\psi^*}\ket{0} &\xrightarrow{\text{CNOT}} \alpha\ket{00} + \beta\ket{11} \\
&\xrightarrow{\text{H}} \ket{0} (\alpha\ket{0}+\beta\ket{1}) + \ket{1}(\alpha\ket{0}-\beta\ket{1}) \\
&\xrightarrow{\text{project to }\ket{0}} \ket{\psi^*}
\end{align}
となって、正しいことがわかる。最後の測定で \(\ket{1}\) に射影されてしまったときには、エンタングルメントのリソース状態として、\(\ket{00}+\ket{11}\) の代わりに \(\ket{00}-\ket{11}\) を使ったことに相当するので、B 側に \(Z\) ゲートをかけて基底を戻してやればよい。
納得行かない人は、\(\ket{1}\)に射影されてしまったときの状態を書き下して確かめてみよう。
このテクニックを大量に使って、エンタングルメントのリソースを消費しながら計算するのが、測定型量子計算である。(測定型量子計算では普通 CNOT ゲートではなくて CZ ゲートによって生成されたリソース状態を使うのが少しだけ異なる。)
ちなみに、このテレポーテーションを local なテレポーテーションと呼ぶのが通例なのかどうかは定かでない。このページでそう呼ばれていたのでそうした。
量子チャネル - 量子状態の対応
(1) 式の性質から導かれるもう一つの大事な概念に、量子チャネルと量子状態の対応関係、界隈で
Choi-Jamiołkowski isomorphism
と呼ばれるものがある。ここではこれを説明しよう。
もう一度 (1) 式の図的表現を以下に示す。
ここで、A 側を \(\ket{\psi}\) へと射影することによって B 側に現れた \(\ket{\psi^*}\) に量子チャネル \(\mathcal{E}\) を作用させることを考えよう。(
量子チャネルとは、密度行列を密度行列に写す一般の線形写像のことである。) 図で書けば、
という操作をすることを考える。図からみても明らかなように、A 側で \(\ket{\psi}\) へ射影する操作と、B 側で \(\mathcal{E}\) を作用させる操作を逆転させても同じ結果が得られるだろう。図で書くと以下のような操作だ。
上の図において、射影操作をする直前の状態は、
チャネル \(\mathcal{E}\) の Choi 状態
と呼ばれている。
Choi 状態:
\begin{align}
(\mathcal{I}\otimes \mathcal{E})\left(\ket{\Psi}\bra{\Psi}_{AB}\right) = \sum_{i,j} \ket{a_i}\bra{a_j} \otimes \mathcal{E}\left(\ket{b_i}\bra{b_j}\right)
\end{align}
Choi 状態と量子チャネルの対応付けが、
Choi-Jamiołkowski isomorphismである。
これの何が "isomorphism" = 同型 なのかわからないが、なぜかそう呼ばれている。
この対応付けが有名なのは、あるチャネルの性質とそれに対応する Choi 状態の性質とがリンクしているからだ。例えば、
- チャネル \(\mathcal{E}\) が completely positive ⇔ Choi 状態が positive. (Choi の定理)
- チャネル \(\mathcal{X}, \mathcal{Y}\) について \(\mathcal{Y}(\rho)=\mathcal{Z} (\mathcal{X}(\rho))\) を満たす \(\mathcal{Z}\) が存在する。⇔ \(\mathcal{X}, \mathcal{Y}\) に対応する Choi 状態 \(\rho_{\mathcal{X}}, \rho_{\mathcal{Y}}\) について、\(I(\rho_{\mathcal{X}}) \geq I(\rho_{\mathcal{Y}})\) (\(I\) は相互情報量).
などが知られているようだ。
おまけ: 1 qubit のテレポーテーション
(1) 式の図的な表現をみると、何も A さん側で 2 qubit 使わなくてもテレポーテーションが実現できそうである。そこでエンタングル状態 \(\ket{\Psi}_{AB} = (\ket{00} + \ket{11})/\sqrt{2}\) の 2 qubit のみを使ったテレポーテーションを考えてみよう。
普通、実験的には \(\ket{0}, \ket{1}\) への射影測定しかできないので、(というか射影測定のできる状態を基底として使っているという方が正しいかもしれないが、) \(\ket{\psi}\) へ射影するという操作には、\(\ket{0}\) を \(\ket{\psi}\) へと変換するユニタリゲート \(U_\psi\),
\begin{align}
U_\psi \ket{0} = \ket{\psi}
\end{align}
が必要となる。ユニタリ性から、\(U_\psi\) は \(\ket{1}\) を \(\ket{\psi}\) と直交した状態へと変換する。したがって \(\ket{1}\) は \(U_\psi\) によって
\begin{align}
U_\psi \ket{1} &= \beta^*\ket{0} - \alpha^*\ket{1} \\
&:= \ket{\psi^\perp}
\end{align}
へと変換される。
さて、この \(U_\psi\) を使って \(\ket{\psi}\) への射影を行うには、まず逆変換 \(U^\dagger_\psi\) を \(\ket{\Psi}_{AB}\) のA側に作用させたあとに \(\ket{0}, \ket{1}\) 基底で測定すればよい。このとき測定結果 \(\ket{0},\ket{1}\) によってそれぞれ
\begin{align}
(\ket{0}\bra{0}_A \otimes I ) (U^\dagger_\psi\otimes I) \ket{\Psi}_{AB} &= (\ket{0}\bra{\psi}_A \otimes I )\ket{\Psi}_{AB}\\
&= \ket{0}_A\ket{\psi^*}_B\\
(\ket{1}\bra{1}_A \otimes I ) (U^\dagger_\psi\otimes I) \ket{\Psi}_{AB} &= (\ket{0}\bra{\psi^\perp}_A \otimes I )\ket{\Psi}_{AB}\\
&= \ket{0}_A\ket{\psi^{\perp *}}_B
\end{align}
という状態へと収縮する。上が \(\ket{0}\) が観測された場合、下が \(\ket{1}\) が観測された場合である、A で \(\ket{0}\) が観測された場合には、前のセクションで書いたように、\(\ket{\psi^*} = \alpha^*\ket{0} + \beta^*\ket{1}\) が「テレポート」される。\(\ket{\psi}\) を送りたければ、\(U_{\psi}\) の代わりに \(U_{\psi^*}\) を使えば良いので、これで量子テレポーテーションという目的が達成できているといえるだろう。
一方で、\(\ket{1}\) が観測されたときには、
\begin{align}
\ket{\psi^{\perp *}} &= \beta\ket{0} - \alpha\ket{1}
\end{align}
という状態へと収縮している。これを見ると、
\begin{align}
\ket{\psi^{\perp *}} &= XZ\ket{\psi}
\end{align}
となっていることに気づく。したがって、A側で \(\ket{1}\) が観測された、という情報を知ることができれば、\(\ket{\psi^{\perp *}}\) に対して \(X\) ゲート、\(Z\) ゲートの順番でゲートを作用させれば、\(\ket{\psi}\) を復元できる。このプロトコルを図に書くと以下のようになる。
注意しなければいけないのは、このプロトコルでは \(\ket{0}\) が測定されたとき \(\ket{\psi^*}\) が送られ、\(\ket{1}\) が観測されたとき \(\ket{\psi}\) が送られてしまうことだ。 しかし \(\alpha, \beta\) を実数に限定すれば、完全なテレポーテーションが実現可能であるから、そういうときには便利な手法かもしれない。
複素共役をとる、という操作をすればいいじゃないか、と思われるかもしれない。しかし実は複素共役をとるという量子操作は実現できない。密度行列で考えると、これは \(\rho \to \rho^* = \rho^T\) (T は転置) という操作であり、前回の記事 で少し触れたように非物理的な操作になってしまう。