1.不確定性関係
量子力学を少しでもかじったことがある人なら誰もが耳にしたことのあるだろう
「不確定性原理」
。運動量と位置は同時に決めることができないだとかなんとかいう話である。
と、前置きしておきながら、このページでは不確定性原理の説明はしない。こんなに表面的で浅い僕の理解で説明して良いものだとは思わないから。
このページで紹介するのは、量子力学の枠組みの中で現れる不確定性関係の話だ。
さっそく本題に入ろう。エルミートな演算子 (観測可能な量) \(A,B\)に交換関係
\[[A,B] = C\]
があるとする。\(C\)は定数であっても良いし、演算子であっても良い。でも\(C=0\)では面白みが無いのでそれは無しにしよう。そうすると、任意の状態\(\ket{\psi}\)について以下の不等式が成り立つ。
\[\sqrt{\expect{\Delta A^2}_\psi}\sqrt{\expect{\Delta B^2}_\psi} \geq \frac{1}{2}\left|\expect{C}_\psi\right|\tag{1}\]
ここで\(\Delta A, \Delta B\)は以下のように平均からのずれを表す演算子であり、
\[\Delta A = A -\expect{A}_\psi\tag{2}\]
\[\Delta B = B -\expect{B}_\psi\tag{3}\]
\(\expect{\cdot}_\psi\)は\(\ket{\psi}\)に対する演算子の期待値を表すことにする。具体的には
\[\expect{\cdot}_\psi = \bra{\psi}\cdot\ket{\psi}\]
である。
(1)式からもわかるように、このページで紹介するのは、量子力学的な世界においては測定が系に影響をあたえるために、正確な測定ができないうんぬんの話ではない。\([A,B]\)という計算をしてこれが0でないときは、どんな状態\(\ket{\psi}\)に対しても、\(A,B\)を測定したときの分散が(1)式の関係を満たすという話だ。もしこの定理を実験的に観測しようとするならば、考えつく限りの量子力学的状態を作り出して、測定する、ということを繰り返してみればいい。
2.証明
少し天下り的かもしれないが、以下のように証明できる。
まずは(1)式を二乗して扱いやすい形にする。
\[\expect{\Delta A^2}_\psi\expect{\Delta B^2}_\psi \geq \frac{1}{4}\left|\expect{[A,B]}_\psi\right|^2\tag{4}\]
この(4)式を証明することを目的にすると、発見的な方法を重んじる人から怒られてしまいそうだ。なんでこんな式を証明しようとするんだ、どこからこんな式の着想を得たんだ、と。そこで少し言い訳をしておくことにする。もともと(1)や(4)のように、ある2つの観測量の観測値の分散の積について、ある関係がありそうなことは予想されていた。
例えば、かの有名な位置と運動量の不確定性関係も、単スリットの思考実験で予想されていたことだ。単スリットの幅を小さくすれば、粒子がどこを通ったかという「位置」はその不確定性を小さくできる。一方で量子が波という性質を持つために、スリットの幅が小さくなるほど回折現象がどんどん強くなって、運動量の不確定性は大きくなってしまうだろう。そうすると、それらの間には反比例的な関係があるだろう、と推測することができる。そのような予想のもと、具体的な不確定性関係を示したのが(4)である。(もっとも、(4)はここまで実験的な状況に基づく式では無いのだが。)
この辺で言い訳はおしまいにして、(4)を証明していこう。
まず注目するのは、(4)式の左辺にある
\[\expect{\Delta A^2}_\psi = \bra{\psi}\Delta A^2\ket{\psi} = \bra{\psi}(A-\expect{A}_\psi)^2\ket{\psi}\]
という量である。よくよく考えてみると、この量は\(\ket{\psi_A} = \Delta A\ket{\psi}\)というベクトルのノルムになっていることに気づくだろう。つまり
\[\braket{\psi_A}{\psi_A}^2 = \expect{\Delta A^2}_\psi\tag{5}\]
である。\(B\)についても同様で、\(\ket{\psi_B} = \Delta B\ket{\psi}\)を定義すれば、
\[\braket{\psi_B}{\psi_B}^2 = \expect{\Delta B^2}_\psi\tag{6}\]
となっている。
さて、そうすると(4)の左辺は\(\braket{\psi_A}{\psi_A}\braket{\psi_B}{\psi_B}\)となる。取っ掛かりとして、何かの不等式でこの量を評価したいのだが、ノルムの積にはCauchy-Schwaltzの不等式というのが使える。Cauchy-Schwaltzの不等式とは、
\[\braket{\psi_A}{\psi_A}\braket{\psi_B}{\psi_B} \geq \left|\braket{\psi_A}{\psi_B}\right|^2 \tag{7}\]
がいつでも成り立つというものである。Cauchy-Schwaltzの不等式なんて呼ぶと少し仰々しい感じがしてしてしまうが、普通の内積の性質をそのまま書いたものなので、こんなところでびっくりしていてはいけない。普通のベクトル\(\b{a},\b{b}\)の内積は
\[\b{a}\cdot\b{b} = ab\cos\theta\]
だったから、\((\b{a}\cdot\b{b})^2 \leq a^2b^2\)が成り立つのは当たり前といえば当たり前だ。
(7)から変形していくとすぐに証明できる。まずは\(\ket{\psi_{A,B}}\)を元に戻して、
\[\expect{\Delta A^2}_\psi\expect{\Delta B^2}_\psi \geq \left|\bra{\psi}\Delta A\Delta B\ket{\psi}\right|^2 \tag{8}\]
次に右辺の\(\Delta A\Delta B\)という積を次のようにエルミートな部分と歪エルミートな部分に分解して、交換子を登場させる。
\begin{align}
\Delta A\Delta B &= \frac{1}{2}(\Delta A\Delta B + \Delta B\Delta A) + \frac{1}{2}(\Delta A\Delta B-\Delta B\Delta A)\\
&= \frac{1}{2}\{\Delta A,\Delta B\} + \frac{1}{2}[A,B]\tag{9}
\end{align}
ここで反交換子\(\{A,B\} = AB + BA\)を使った。また、\(\Delta A\Delta B - \Delta B\Delta A = [A,B]\)であることも計算すればすぐわかるはず。
この(9)を(8)に代入すれば、
\begin{align}
\expect{\Delta A^2}_\psi\expect{\Delta B^2}_\psi
&\geq \left|\bra{\psi}\Delta A\Delta B\ket{\psi}\right|^2 \\
&=\frac{1}{4}\left|\bra{\psi}\{\Delta A,\Delta B\}+[A,B]\ket{\psi}\right|^2\\
&=\frac{1}{4}\left|\bra{\psi}\{\Delta A,\Delta B\}\ket{\psi}+\bra{\psi}[A,B]\ket{\psi}\right|^2\tag{10}
\end{align}
(10)式の一項目 \(\bra{\psi}\{\Delta A,\Delta B\}\ket{\psi}\) は\(\{\Delta A,\Delta B\}\)がエルミートなので必ず実数である。さらに二項目\(\bra{\psi}[A,B]\ket{\psi}\)は、\([A,B]\)が歪エルミート演算子であることから必ず純虚数になる。エルミートの方はよく知られていると思うが、歪エルミートの期待値が純虚数になることは一応このページの最後に証明を載せる。
ということで、(10)は実数+虚数の絶対値を取っているから、次のようになる。
\[\expect{\Delta A^2}_\psi\expect{\Delta B^2}_\psi \geq \frac{1}{4}\expect{\{\Delta A,\Delta B\}}_\psi^2+\frac{1}{4}\left|\expect{[A,B]}_\psi\right|^2\tag{11}\]
後は最後の一歩。(11)で実数部の項\(\frac{1}{4}\expect{\{\Delta A,\Delta B\}}_\psi^2\)は正だから、無視しても不等号が変わることはない。したがって、
\[\expect{\Delta A^2}_\psi\expect{\Delta B^2}_\psi \geq \frac{1}{4}\left|\expect{[A,B]}_\psi\right|^2\tag{12}\]
を得る。これは(4)式なので不確定性関係を証明できた。
3.等号成立条件
不確定性関係(12)を証明できたから、さらに一歩進んで、(12)において最小の不確定性を得る条件、つまり(12)の等号が成立する条件も求めておこう。
証明で不等号が登場したのは、Cauchy-Schwaltzの不等式
\[\braket{\psi_A}{\psi_A}\braket{\psi_B}{\psi_B} \geq \left|\braket{\psi_A}{\psi_B}\right|^2 \tag{7}\]
と、実数部を無視したところ
\[|\expect{\Delta A\Delta B}_\psi|^2=\frac{1}{4}\expect{\{\Delta A,\Delta B\}}_\psi^2+\frac{1}{4}\left|\expect{[A,B]}_\psi\right|^2 \geq \frac{1}{4}\left|\expect{[A,B]}_\psi\right|^2\tag{13}\]
の2つだ。だからこの2つで等号が成り立つ条件を見つければ、それが(12)の等号を成り立たせる条件である。
まずCauchy-Schwaltzの不等式が等式になるとき、
\[\braket{\psi_A}{\psi_A}\braket{\psi_B}{\psi_B} = \left|\braket{\psi_A}{\psi_B}\right|^2\tag{14}\]
はどんなときだろうか。これはつまり、2つのベクトル\(\ket{\psi_A},\ket{\psi_B}\)の内積が、それぞれのノルムの積になるときである。普通のベクトルで考えればすぐに分かると思うが、これは2つのベクトルの成す角\(\theta\)が\(0\)であるとき、つまり2つのベクトルが平行であるときである。式で表すなら、ある複素数\(z\)によって
\[\ket{\psi_B} = z\ket{\psi_A} \iff \Delta B\ket{\psi} = z\Delta A \ket{\psi}\tag{15}\]
となる。(15)が成り立つときにのみ、Cauchy-Schwaltzの不等式は等号になる。
では(13)式はどうだろう。これは簡単で、\(\expect{\Delta A\Delta B}_\psi\)が実数部を持たなければ良いだけだ。このことを式で書くと
\[\text{Re}(\expect{\Delta A\Delta B}_\psi) = 0 \iff \text{Re}(\bra{\psi}\Delta A\Delta B\ket{\psi}) = 0\tag{16}\]
である。
2つの不等号の統合成立条件が出揃ったので、あとは解くだけだ。(15)を(16)に代入して、
\begin{align}
\text{Re}(\bra{\psi}\Delta Az\Delta A\ket{\psi}) &= 0\\
\text{Re}(z\bra{\psi}\Delta A\Delta A\ket{\psi}) &= 0\\
\text{Re}(z\braket{\psi_A}{\psi_A}) &= 0
\end{align}
当然\(\braket{\psi_A}{\psi_A}\)は実数なので、結局
\[\text{Re}~z = 0\tag{17}\]
が等号成立条件になる。
さらに、(17)式の条件から(15)式に戻ると、\(A,B\)に関して最小不確定性を持つ状態\(\ket{\psi_0}\)を求める方程式が得られる。\(\ket{\psi_0}\)は任意の実数\(\alpha\)について、
\[\Delta B\ket{\psi_0} = i\alpha \Delta A\ket{\psi_0}\tag{18}\]
を満たす状態である。これを解いて最小不確定性を持つ状態を求める計算も書いてみようかと思ったけど、長くなりすぎるのでまた次回。
4.補足:歪エルミートの期待値が虚数になることの証明
歪エルミート演算子\(A\)は、
\[A = -A^\dagger\]
を満たす演算子である。面倒くさいので証明はしないが、この演算子の固有値は必ず虚数になる。(エルミート演算子の固有値が実数になることの証明と全く同様にできるはず。)
\(A\)は一般に、その固有値\(a_n\)と直交する固有ベクトル\(\ket{n}\)を使って、
\[A = \sum_n a_n \ket{n}\bra{n}\]
とかける。任意の状態\(\ket{\psi}\)をこの固有ベクトルで展開して
\[\ket{\psi} = \sum_n \braket{n}{\psi}\ket{n}\]
とし、期待値を取ってみると、
\begin{align}
\expect{A}_\psi &= \bra{\psi}A\ket{\psi}\\
&= \sum_n \braket{n}{\psi}^*\bra{n}\sum_{n'} a_{n'} \ket{n'}\bra{n'}\sum_{n''} \braket{n''}{\psi}\ket{n''}\\
&= \sum_{n,n',n''} a_{n'}\braket{n}{\psi}^*\braket{n''}{\psi}\braket{n}{n'}\braket{n'}{n''}\\
&= \sum_{n,n',n''} a_{n'}\braket{n}{\psi}^*\braket{n''}{\psi}\delta_{nn'}\delta_{n'n''}\\
&= \sum_{n}a_{n}|\braket{n}{\psi}|^2
\end{align}
となる。\(a_n\)は純虚数だから、これ全体も純虚数だ。離散固有値の場合を証明してみたが、連続固有値の場合も同じようにして証明できるだろう。(数学的な細かいことを抜きにして。)