1.Pauliスピン行列
Pauliスピン行列の導出のページで、スピンがある種の角運動量であると考え、スピンの演算子に角運動量と全く同じような交換関係を課したときに、スピンの演算子はどのような性質を持つか調べた。そこでは、スピンのz方向成分を表す演算子\(\hat{s}_z\)の固有状態\(\ket{\uparrow},\ket{\downarrow}\)を二次元空間におけるベクトル
\[\ket{\uparrow}\to\left(\begin{array}{c}1\\0\end{array}\right),~\ket{\downarrow}\to\left(\begin{array}{c}0\\1\end{array}\right)\tag{1}\]
に対応させたときに、スピン演算子のx,y,z成分は行列でどのように表されるべきか考えたのだった。結果として、
\begin{align}
s_x&= \frac{\hbar}{2}\left(\begin{array}{cc}0&1\\1&0\end{array}\right),&
s_y&= \frac{\hbar}{2}\left(\begin{array}{cc}0&-i\\i&0\end{array}\right),&
s_z&= \frac{\hbar}{2}\left(\begin{array}{cc}1&0\\0&-1\end{array}\right)
\end{align}
というものを得た。今回は、この表し方の中で重要な役割を果たしている行列
\begin{align}
\sigma_x&= \left(\begin{array}{cc}0&1\\1&0\end{array}\right),&
\sigma_y&= \left(\begin{array}{cc}0&-i\\i&0\end{array}\right),&
\sigma_z&= \left(\begin{array}{cc}1&0\\0&-1\end{array}\right)
\end{align}
の性質についてまとめてみたいと思う。
掛け算
Pauliのスピン行列は、角運動量演算子として交換関係
\[[\sigma_x,\sigma_y]=2i\sigma_z\tag{2}\]
だけではなく、
\[\sigma_x\sigma_y = i\sigma_z\tag{3}\]
のような性質も持っている。ちょっと計算して示しておく。
\begin{align}
\sigma_x\sigma_y &= \left(\begin{array}{cc}0&1\\1&0\end{array}\right)\left(\begin{array}{cc}0&-i\\i&0\end{array}\right)\\
&= \left(\begin{array}{cc}i&0\\0&-i\end{array}\right)\\
&=i\sigma_z
\end{align}
少し計算すれば、(3)がxyzをくるくる回しても同じ式を満たすことがわかるし、(2)と組み合わせれば、掛け算の順番を逆にすると符号が変わるだけであることもわかる。
もう一つ掛け算に関して重要な性質として、二乗すると単位行列になるという性質がある。これはずぐに確かめることができるだろう。式で表すと、
\[\sigma_\alpha^2 = I\tag{4}\]
である。
指数関数
(4)のように二乗すると1に戻るという性質から、パウリ行列の指数関数は簡単に計算できる。やってみよう。
\begin{align}
\exp\left(i\theta\sigma_\alpha\right)&= I + i\theta\sigma_\alpha + \frac{1}{2!}(i\theta\sigma_\alpha)^2 + \frac{1}{3!}(i\theta\sigma_\alpha)^3 + \frac{1}{4!}(i\theta\sigma_\alpha)^4\cdots\\
&= I - \frac{\theta^2}{2!}I + \frac{\theta^4}{4!}I + \cdots + i\theta\sigma_\alpha -i \frac{\theta^3}{3!}\sigma_\alpha + i \frac{\theta^5}{5!}\sigma_\alpha - \cdots\\
&=I\left(1 - \frac{\theta^2}{2!} + \frac{\theta^4}{4!} + \cdots\right) + i\sigma_\alpha\left(\theta- \frac{\theta^3}{3!} + \frac{\theta^5}{5!} - \cdots\right)\\
&=I\cos\theta + i\sigma_\alpha\sin\theta\tag{7}
\end{align}
なぜこんなものを計算するのかということは今はおいておこう。スピンの回転に密接に関係した式である、ということだけ書いておく。
行列の基底としての性質
Pauli行列\(\sigma_x,\sigma_y,\sigma_z\)と単位行列\(I\)を合わせると、実はこの4つで2×2行列の基底になっている。
しかも、行列A,Bの内積\(A\cdot B\)を、トレースを使って、
\[A\cdot B = \Tr(A^\dagger B)\tag{6}\]
と定義することにすれば、この4つの行列は直交基底になる。(この形式の内積は
Frobenius内積
、もしくは、スピンを扱う文脈ではHilbert空間上の演算子の内積という意味を込めて、
Hilbert-Schmidt内積
とも呼ばれる。)
まずはこの内積について少し説明しておこう。この(6)の内積は、実は普通のベクトルの内積の拡張になっているのだ。(6)を成分表示して書き下してみよう。\(A\)のij成分を\(a_{ij}\)とすれば、\(A^\dagger\)のij成分は\(a^*_{ji}\)だから、まず、
\[(A^\dagger B)_{ij} = \sum_{k} a^*_{ki}b_{kj}\]
である。これのトレースをとるというのは、対角の\(ii\)成分だけを全て足し合わせることだから、
\begin{align}
\Tr(A^\dagger B) &= \sum_{i} (A^\dagger B)_{ii}\\
&=\sum_{i}\sum_{k} a^*_{ki}b_{ki}\tag{7}
\end{align}
となる。(7)式をしっかりと見てみると、\(A,B\)の\(ki\)成分同士をかけてそれを足し合わせるという計算になっている。トレースとかを使って書くからなんとなく難しい計算をしているような気分になってしまうが、\(Tr(A^\dagger B)\)は要するに、普通のベクトルの内積
\[\b{a}\cdot\b{b} = \sum_i a_i^*b_i\tag{8}\]
と全く同じ形式の計算をしているに過ぎないわけだ。
ということで、\(\sigma_x,\sigma_y,\sigma_z,I\)の直交性を確かめてみる。
特に難しい計算はない。まず、単位行列との直交性は、
\[\Tr(I\sigma_\alpha ) = \Tr\sigma_\alpha = 0\]
ですぐに分かる。\(\sigma_\alpha\)同士の直交性も、例えばx,yの間を例にして考えると、最初に書いた掛け算の性質
\[\sigma_x\sigma_y = i\sigma_z\]
から、
\[\Tr(\sigma_x^\dagger\sigma_y) = 0\]
であることがわかる。
また、この内積のもとで、行列の「長さ」(ノルム)を測ることもできる。具体的には、\(\sigma_\alpha^2=I\)という性質から、
\[||\sigma_\alpha||^2 = \Tr(\sigma_\alpha^2) = 2\]
となる。もしこの4つの行列を正規化したければ、それぞれを\(\sqrt{2}\)で割ればいいことがわかるだろう。
パウリ行列による行列の展開
2×2行列は4つの成分を持っている。Pauli行列\(\sigma_x,\sigma_y,\sigma_z\)と単位行列\(I\)で4つの直交した行列になっているのだから、任意の2×2行列\(A\)は次のように展開できるはずだ。
\[A=a_I I + a_x \sigma_x + a_y \sigma_y + a_z \sigma_z\tag{9}\]
このように展開した時の係数\(a_I,a_x,a_y,a_z\)を求めるには、直交性を使って次のような計算をすればいい。例えば\(a_x\)なら、
\[\Tr(\sigma_x A) = a_x\Tr(\sigma_x^2) = 2a_x\]
つまり、
\[a_x = \frac{1}{2}\Tr(\sigma_x A)\tag{10}\]
となる。
エルミート行列の場合
上で展開した行列がエルミート行列 (\(A^\dagger = A\)) だった場合どうなるか考えよう。パウリ行列が全てエルミート性を持っているので、(9)から、
\[A^\dagger=a_I^* I + a_x^* \sigma_x + a_y^* \sigma_y + a_z^* \sigma_z\]
である。\(A\)がエルミートなら、これが\(A\)に等しいというのだから、
\[a_I I + a_x \sigma_x + a_y \sigma_y + a_z \sigma_z = a_I^* I + a_x^* \sigma_x + a_y^* \sigma_y + a_z^* \sigma_z\]
つまり、全ての係数について、
\[a_\mu = a_\mu^*\]
であることが言える。
つまり、
エルミート行列をパウリ行列で展開したとき、その係数は必ず実数になるのだ。